逓送(ていそう)の話

古老の話

地元のある古老から聞いた話

その人は、昭和20年代の後半頃、逓送(ていそう)の仕事をしていたという。逓送とは郵便物や新聞などを運ぶ仕事のことだ。

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当時、釧路から阿寒湖に抜ける道(今の国道240号線)は冬になると自動車の行き来が出来なかった。
閉鎖期間は、12月末から4月いっぱいくらいまで。
雪が積もっている時はもちろんだが、未舗装で砂利もろくに敷いていない道路は春先はぬかるんでとても車は走れなかったのだ。

釧路から阿寒町までは鉄道が走っていたため問題はないのだが、そこから先は代替輸送手段を使わざるを得なかった。
鉄道で運ばれた荷物は、阿寒町から馬そりで運ばれた。
馬そりは冬場の輸送手段として多用されていたいう。

問題は険しい山道が続く最後の四里(16km)程の区間。
この区間の輸送手段はなんと人力。
人間が歩いて運んだのである。

雪道なので当然スキーは履いた。
スキーといっても今のゲレンデスキーとは違う。下りは勿論だが登りもスキーを履いて歩くのである。

朝、阿寒湖畔を出発し山道を下り麓で荷物を預かり、それを運んで今度は登り坂を阿寒湖畔まで帰る。 往復で32km。

運ぶ荷物の量はその日によって違うが、郵便物と新聞だけだと小さな袋一つだが、小包があるときは20kgを超えることもあったという。

荷物は郵便物や新聞なので、どんなに量が多くても当日に届けなければならない。
小包の量が多い日は、2往復した事もあると言う。 
   一日に64km !!

最高では、一日2往復を二日続けて運んだことがあったそうだ。

ただただ脱帽である。

Posted by 森の人